ピーター・ティールの20アンダー20とZeroToOneとリーンスタートアップ

20 Under 20

20アンダー20というのはピーター・ティールのプロジェクトで、20歳以下で、大学に行かないことを選択するか、大学を中退した生徒には10万ドルを与えて、起業の準備をさせるという、ものです。
20 Under 20のプロジェクトに採択された若者たちの内面やプロジェクトの詳細や推移についても、詳しく書かれているとは言えませんし、多くの登場人物が現れては消え、一貫した視点もテーマもありません。後書きをみると、なるほどいろんなメディアに書いたばらばらのものを20 Under 20を縦軸にまとめ直してみた本なのでした。脱字もあるし、「。。」みたいなのも残ってたりして、本としてのクオリティは低いです。(アイン・ランドとかアナクシマンドロスの仮名表記が通常と違うのも。何でなんだろう)
ただ、HBOの「シリコン・バレー」が好きな人は、元ネタがわかったりして楽しめるかもしれません。

ゼロ・トゥ・ワン

これに比べると、ティール自身の書いた「ゼロ・トゥ・ワン 」はいろんな意味でまっとうな本です。「ゼロ・トゥ・ワン」では、0→1の重要性とスタートアップビジネスの進め方についてティールの考えが、昔のコラムニストを連想させるような文体で綴られます。
(そういえば20 Under 20の作者はトム・ウルフの娘なのですが、ゼロ・トゥ・ワンの文体の方がむしろトム・ウルフを思わせます)
この本の面白いところは、ITの世界で当然視されがちないくつかの前提、オープン性、独占批判、リーンスタートアップ手法などについて批判している部分です。ビジネス書でありながら(ですよね?)ティールの思想が伝わってくる点です。(トランプに賛同したことですっかり評判を落としましたが)根底にはやはりアイン・ランド的なものを感じます。

独占しろ!囲い込め!

ティールは0→1で独占企業を作るべきだとしています。さらに「オープン」であることについても批判的です。市場の独占によって得られるインセンティブと、それを打破しようとする動きこそがイノベーションの原動力なのだと。Appleやマイクロソフトは独占によって一時期市場を支配し、またそれらを凌駕するために新たなイノベーションが生まれるのだと、考えているのです。

独占は進歩の原動力となる 。なぜなら 、何年間 、あるいは何十年間にわたる独占を約束されることが 、イノベ ーションへの強力なインセンティブとなるからだ 。その上 、独占企業はイノベ ーションを起こし続けることができる 。彼らには長期計画を立てる余裕と 、競争に追われる企業には想像もできないほど野心的な研究開発を支える資金があるからだ 。

リーンスタートアップ批判

リースのリーンスタートアップは以前読んでいたのですが、最近これを読み返してみました。本自体は非常に良い本だと思います。
1.誰にでも実行できる
2.誰にでも理解できる
というヒット作の条件の二つを備えています。それ以上に例も豊富で、論に説得力もあります。
それだけにティールの批判は理解されにくいでしょうが、それは彼の批判のポイントがリーンよりもむしろそれを採用する側にあるからです。

でも 、むしろ正しいのは 、それとは逆の原則だ 。

1 小さな違いを追いかけるより大胆に賭けた方がいい

リーンとは結局改善でしかありません。例えばペットボトルのUIを改善したり販売方法を改善したりするのには有効な方法でしょう。もちろん改善は非常に重要です。ところが0→1の現場において、0→1登場以前にフレームワークを持ってくるとおかしなことになります。
フレームワークに合わせて課題や改善点が現れることになるのです。0→1ではない人や組織がが課題に先にフォーカスすると、(本書の例をあげるなら)大量の社会起業家が生まれたりします。
組織のリーン主義者の問題は明らかです。手段と目的の混同、逆転組織の目的は属人的な部分を廃して存続することなので、フレームワークだけが残るのは、構造的な当然の問題なのですが、もし0→1がテーマなのなら、ここは見直さなければならない点でしょう。
だからこそ、最も大切なトピックは次の部分です。

誰も気づいていない真実を見つけることができるか

ゼロトゥワンの主題はもちろん0→1の部分です。この部分について、ティールはこのように問います。「世の中のほとんどの人は Xを信じているが 、真実は Xの逆である 」そんな思考ができるだろうか、と。

「世の中のほとんどの人は Xを信じているが 、真実は Xの逆である 」 。・・・この逆説的な質問がどう未来にかかわるのだろう ?
突き詰めて考えれば 、未来とは 、まだ訪れていないすべての瞬間だ 。でも 、未来がなぜ特別で大切なのかといえば 、それが 「まだ訪れていない 」からではなく 、その時に 「世界が今と違う姿になっている 」からだ 。だから 、もしこれから一〇〇年間社会が変わらなければ 、未来は一〇〇年以上先にならないとやってこないことになる 。もし次の一〇年でものごとが急激に変わるなら 、未来は手の届くところにあるということだ 。未来を正確に予測できる人などいないけれど 、次の二つのことだけは確かだ 。未来は今と違う 、だけど未来は今の世界がもとになっている 。あの逆説的な質問への答えのほとんどは 、異なる視点で現在を見ているだけだ 。視点が未来に近づくほど 、いい答えになる 。

個人が0→1を起こせるかどうか、の見分け方があるとしたら、これはその一つです。
「もしかしたら自分しか気づいていないかもしれない真実に気づいた」と思ったことがないならば、0→1は向いていないからです。よく見かける、「オリジナルなものなどない」「既に誰かが考えている」「小説や漫画や映画に描かれている」と言いたがる人も、0→1向きではないでしょう。これは「本当に頭のいい人は馬鹿でもわかるように説明する」と同じタイプのルサンチマンに基づいた幻想です。
0→1の経験があるならば(例えそれが、巨人の肩に乗ったノミのような小さなひらめきであったとしても)上のようなことを言えなくなるからです。巨人とノミを同時に再発明しているかのように感じた経験を持っているのです。

0→1は論理的にも演繹的にも到達できない

以前ポランニーの引用をしましたが、もう一度引用してみます。

「問題を考察するとは、隠れた何かを考察することだからだ。それは、まだ包括されていないここの諸要素に一貫性が存在することを暗に認識することなのだ。この暗示が真実であるとき、問題もまた妥当なものになる。そして私たちが期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないとき、それは独創的なものになる。偉大な発見に導く問題を考察するとは、隠れている何かを考察することだけでは無く、他の人間がみじんも感づき得ないような何かを考察することでもあるのだ。」暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

あらためて引用してみてみると、ティールがポランニーを意識してたのは間違いないようですね。

「メノン」のパラドックスを解決する暗黙知は、今のところは隠されている何かを暗に関知することになる。・・・まだ発見されざるものを暗に予知する能力が私たちに備わっているというのならそれも合点がいく。・・・その問題がそれ自身の背後に潜んでいる何かを指し示しているのを確実に感じ取れることも出来る。・・・その発見についてじっくり検討を重ねているとき、私たちは問題それ自体だけを見ているのではないからだ。そのとき私たちは、それに加えてもっと重要なもの、問題が兆候として示しているある実在への手がかりとして問題を見つめているのだ。そもそも発見が追求され始めるのも、こうした観点からなのである。・・・すなわち、私たちははじめからずっと、「隠れた実在」が存在するのを感知して、その感覚に導かれているのだ。暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

0→1が演繹的には到達できないことはポランニーやプラトンだけでなく、科学者やクリエイターが繰り返し言及しています。(今度そればっかり集めてみます)すぐに思い出せるところでもポアンカレ 岡潔の「情緒」「計算のない数学をやりたい」というのも同じことを指しているように思えます。
当たり前のことですが、一歩一歩進んでたどり着ける場所に解があるのならば、合理的で論理的思考を身につけて既に長い長い時間を過ごしてきた私たちは、すでに解に到達しているはずなのです。
ですから、この本の中心テーマが0→1の重要性と0→1ビジネスの成功法的なものではありますが、この本を読んでも0→1の仕方が書かれていないのは当然でもあり、それを期待する読者を失望させるのもまた仕方ないことではあります。0→1が属人的な出来事だとしてそれを組織で達成できるかについては「オープンイノベーションのジレンマ」で考えてみました。(加えてそれぞれが向いているか向いていないかによる役割分担は組織では重要ですね)

再度20 under 20

ここまで書いてきて、もし、アメリカの大学教育というものが、日本の受験に最適化された中高生が得意とするような、フレームワークを教え込むようなものだとしたら、20 under 20 プログラムが理解できるような気がしてきました。
日本でのイノベーションの貧困の原因は、試験範囲の固定と選択肢からの選択によって解答を出せること(記述式の問題でも)への最適化が原因だからです。(詰め込みではありません)
そうだとすると、20 Under 20のティールの試みは、「誰もが信じている間違った前提X」を疑うことの出来る人材で、ゼロトゥワンで書けなかった部分を試してみることなのかもしれません。

みんなが信じているXの例

さっきオフラインで「例を出して欲しい」と言われました。
今やってることとあまり関係ない範囲で一つ例を挙げてみます。
僕は10年くらい前「ザッカバーグは1つ以上のアイデンティティを持つことは不誠実だというが、人間のアイデンティティは関係に応じて無数にあるべきだし、そのように設計しなければサステナブルなSNSは作れない」という「僕しか信じていない仮説」に基づいてSNSを作りました。
いろんな理由で撤退しましたが(そのうちの一つは「アイデンティティの数が増えれば増えるほど拡散に時間がかかる」というもっともなものです)この仮説自体はまだ正しいと思ってます。
facebookは複数アイデンティティを許容する方向に行くでしょうし、他のSNSやマストドンもそのトレンドかなとも思っています。いずれ今考えている別の表現を試みたいとは思っています。