
AIと「メノンのパラドックス」──我々は「知らないこと」をどのように問い、知ることができるのか?
1. はじめに
プラトンの『メノン』に登場する「メノンのパラドックス」は、「知らないことは何を探せばよいか分からず、知っていることなら探す必要がない」というジレンマを提示します。現代においては、このパラドックスは人工知能(AI)との関係で改めて問い直されています。
本稿では、メノンのパラドックスと暗黙知の問題意識を手がかりに、AI時代の知識の獲得と探索の可能性を検討してみます。
2. メノンのパラドックスとの比較視点
2-1. パラドックスの要点
「メノンのパラドックス」では、
- 知らないものについては、何をどう探せばよいかすら分からない。
- 知っているものについては、すでに知っている以上、探す必要がない。
その結果、「学習は不可能ではないか」という矛盾が生じるわけです。プラトンはこれを「想起説」で解決しようとし、人間の魂が「生まれる前から何かをすでに知っている」ことを前提にしました。これは「完全な無知」と「完全に知っている状態」の間にあらかじめ何らかの「手がかり」が潜んでいるという考えです。
2-2. 暗黙知との接点
一方、マイケル・ポランニーの「暗黙知」も、言語化されていない知識や技能を想定することで、どうやって「まだ言語化されていない知識」を人は学べるのかという問いに応えようとします。実際に「コツをつかむ」過程では、既存の知識(形式知)だけでは導き出せない気づきや発見が生じることがあるからです。
これらの議論は、未知をどのように探索し、どうやって言語化の限界を突破するかという視点で共通しています。
3. AIを使う我々は「知っていること」しか尋ねられないのか?
3-1. AIへのプロンプトは「既知の言語表現」に依存する
現在主流の大規模言語モデル(GPTなど)に対して利用者が行う操作は、テキストを入力(プロンプト)し、それへの応答を得るという形です。このとき、
- 利用者が知らない概念や未確立の概念を、いきなり正確なキーワードで尋ねるのは難しい
- AIモデル自体も、学習データ(過去の言語資源)から構築されている
という事情があります。一見すると「結局、人があらかじめ知っているキーワードを入力しないと、AIは答えを出せないのではないか?」という懸念が生じるわけです。
しかし、この状況は「人間が言語を使う限り避けられない問題」でもあります。メノンのパラドックスにおいて「知らないことは問えない」ことと似ており、AI時代でも、問うための一歩目をどう踏み出すかが課題になります。
3-2. AIの「生成能力」と「探索の拡張」
一方で、大規模言語モデルは以下の特徴を持ち得ます。
- 生成的能力(生成AI): モデルが学習した知識を組み合わせ、利用者が期待していなかった着想や回答を提示する
- 連想的探索の幅広さ: 人間が思いつかないような関連概念や組み合わせを示唆し、新たな疑問を生み出す手がかりを与える
- 反復的な対話: ユーザが「これについてもっと教えて」と掘り下げる形で、AIの回答を“問い返し”できる。問いの精緻化や概念の再定義を対話的に行える
たとえば、利用者が「Aという分野の周辺の未解決問題を列挙して欲しい」と大まかに頼むとき、AIは「まだ確立されていないが議論される可能性のある関連課題」「近接領域のアイディア」などを提示してくれます。これによって、利用者が想定しなかった切り口が生じ、そこから新たな疑問や探求テーマが生まれることがあるのです。
言い換えれば、AIが提示する“未踏の仮説や視点”こそが、メノンのパラドックス的な「未知の領域への手がかり」となり得ます。ユーザは完全な無知ではなく、「ちょっとしたキーワードや分野名」を入力するだけで、AIからより広範なアイデアや関連領域を“想起”させることができるのです。
4. 「人類が考えたことがあること」の外へ行けるのか?
4-1. データに基づくAIの限界と「新規性」
AI(特に大規模言語モデル)は、大量のテキストデータを学習して構築されるため、原理的には「既存の人類の知的産物」から派生した知識を扱います。よって、「まったくゼロから人類未踏の分野に関する知見をAIが創造する」かと問われれば、学習元のデータに何らの痕跡も存在しない完全な未知をAI自発で生成するのは難しいと考えられます。
しかし、一方で学習データに散在する要素を新たな形で再結合・再編集して、人間がまだ意識的に取り上げていなかった視点を提示するケースは十分にあり得ます。そうした“組み合わせの新規性”は、人類が(少なくとも主流で)考えなかったテーマへの扉を開く可能性があります。これは、新しい発明や発見が「既存の要素の組み合わせ」から生まれるという見方と親和的です。
4-2. 人間との対話・実践を通じた「新たな知の開拓」
ポランニーの「暗黙知」論や禅仏教の「不立文字」が示すように、知識や気づきは必ずしも既存の言語表現にとどまらない形で生まれることがあります。そこでは、
- 身体的な実践
- 対話的な試行錯誤
- 直感やひらめき
- 共同作業(師弟関係、共同研究など)
といったプロセスが重要な役割を果たします。
AIがこれらの要素と補完関係にあるとすれば、人間がまだ明確に言語化できない疑問やイメージを、AIとのインタラクションを介して少しずつ外化・明確化し、新概念を生成していくことが可能かもしれません。
- 例:ラフな図や数式、曖昧な言葉の断片などをAIに提示し、そこから関連情報や類似事例を引き出してもらう。
- それをきっかけに、人間側の暗黙的イメージが徐々に「言語的に扱える問い」に変容していく。
こうした反復の過程で、「人類がこれまで考えたことのない問い」が少しずつ形になり、単なる“既知の再利用”を超えたアイデアに到達する可能性があります。
4-3. 「未知を知るプロセス」の変容
最終的にAIは「学習済みデータの組み合わせ」に基づく生成を行う存在ですが、それを使う人間側が未知の方向に誘導できる可能性はあります。言い換えれば、
- 利用者が投げかける初期的な問い(たとえ曖昧であっても)
- AIが返す多様な示唆
- そこから利用者がさらに深堀りし、再度AIに問い返す
という反復が続くうちに、人間が当初想定していなかった問題群が浮かび上がることがあるのです。
これをメノンのパラドックスになぞらえれば、完全な無知からの出発ではなく、かすかなキーワードや領域名を手がかりにした「漸進的な学習・探求」が可能だと言えます。プラトンの想起説で言う「魂の内に潜む“知の芽”」が、ここでは「AIとの対話によって引き出される潜在的なアイデア」にも重なってくるわけです。
5. まとめ:AI時代の「未知の問い」と学習のゆくえ
メノンのパラドックス
- 「知らないことは問えない」というジレンマは、AI時代においても依然として根本的な問題である。
- しかしプラトンが「想起説」を唱えたように、我々は全くの白紙ではなく、何らかの潜在的知の手がかりを持っているとみなせる。
暗黙知とAI
- ポランニーの「暗黙知」は、言語化されていない知や技能をどのように獲得・伝達するかの問題を提起。
- AIもまた、必ずしも言語化しきれない人間の感覚やアイデアの断片を、対話を通じて徐々に外化・発展させる助けになり得る。
「既知」を超える可能性
- 大規模言語モデルは「学習済みデータ」に依存しているが、既存の知識を新たに組み合わせて提示する能力を持ち、利用者に思わぬ発想の糸口を与えることがある。
- ユーザとの反復的な問いと答えの中で、当初は明確に意識されなかった未知の問いが生み出される可能性がある。
アプローチの要点
- 未知の分野を扱うには、曖昧でも良いのでキーワードや方向性をAIに示す(最初の糸口)。
- 返ってきたアイデアや情報を吟味しながら、さらなる問いを追加し、概念を再定義していく。
- このプロセスを通じて、「問う→気づきを得る→再定義→再度問う」というサイクルが繰り返され、未知領域へと探求を拡張する。
参考リンク
- Plato’s Meno | Internet Encyclopedia of Philosophy
- Michael Polanyi, The Tacit Dimension
- The Tacit Dimension of Knowledge — Being-Here
- Zen's Four Mottos — 教外別伝 / 不立文字など
- Aristotle, Posterior Analytics | MIT Classics
- Kant’s Categories (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
6. 結び
「知らないことは問えない」というメノンのパラドックスは、AI時代の我々にも突きつけられる基本的な問いです。しかし、
- わずかな既知の手がかりから出発して、
- AIの連想的・生成的な働きを活用し、
- 反復的な対話や実践を通じて
未知の領域へと踏み込むことは十分に可能です。
AIが提示するアイデアや関連情報は、「我々がまだ意識的に取り出せていない知」を掘り起こし、未知の問いを形成する「想起」や「発見」の助けになるかもしれません。そうしたプロセスを「暗黙知を補う装置」と捉えれば、人類の知的フロンティアを広げる大きな可能性があると言えます。