オープンイノベーションのジレンマ


地方自治体から大企業まで、オープンイノベーションイベントが盛況です。

AIやIoTがIのないものにまで使われ始めちゃったように、0to1やイノベーションも全くイノベーティブじゃないものにも使われるようになってきています。インフレしすぎてイベリコ豚や黒毛和牛と北海道アイダホポテトのポテトチップみたいな。

真に新しいアイデアとそれをドライブする力の組み合わせによって世界が変わるのであるなら、個人やスタートアップ、大企業とのパートナーシップは正しいことのように思えますが、実際は困難が多いようです。実際に何件か参加を試みたこともあるので、スタートアップの側から考えてみたいと思います。



理想は上の図ですが、実際は良くて下であることも。

 

「アイデア」とは新しく価値のあるもののことを言う

この記事では「システムとしてのオープンイノベーション」について考えます。もしかしたら「DeNAが自分でやると手が汚れる部分をやらせるために会社を買いたい」って理由のオープンイノベーションイベントもあるのだろうと思いますが、ここではまじめな方を考えます。また、「イノベーティブなアイデア」と、その外部のリソースで生まれた大きな現象をオープンイノベーションである、としておきます。エジソンの「1%のひらめきと99%の努力」という言葉が(日本では逆の意味に使われますが)のとおりに。

ついでにいうと「アイデアに価値はない。それだけでは何も生まないからだ」という台詞は、アイデアを出せない人のルサンチマンです。「お金には価値はない。それ自体では何も生まない」が、貧者のルサンチマンでしかないように。市場原理においては、モノは希少なほど価値は高くなりますが、希少すぎて流動性が低いと価値を決めにくくなっているだけのことです。

もう少し穏やかな言い方をすると価値のないものや新しくないものを「アイデア」と呼ぶことが間違っているのでしょう。「ワクワクするビジネスをする!」「教育で世界をよくする」「AIで教育をする」「不老ビジネス」などはアイデアではありません。
全く具体的ではない「火星移民」「光の速さを超える」「ドラえもんを作る(本体?それとも四次元ポケットまで含めて?AIも?)」あるいは今更「自転車のハンドルにつける傘を固定する装置」みたいな事を言う人(キャッチフレーズと具体化、レッテルと中身を区別できない人は結構いて、困らされるのも理解できますが)に対しては「アイデアに価値ない」ではなく、「それはアイデアではない」または「そのアイデアは君のものではない」と言うべきなのです。アイデアとは「学習のプロセスで○○を○○し、○○から○○を考えることで、学習効果が上がる」「○○のタンパク質に特異的に結合する○○をもちいて○○すると人間は不老になる」みたいな具体性を伴ったものを指します。

個人におけるアイデアの生成プロセス

アイデア+実行=イノベーションだとして、後半の99%の実行の部分は、僕がよくわからない領域です。たくさんの人を動かし、たくさんのお金を使い、チームが共闘する環境を作れるのは、もちろん卓越した能力をもった人や集団であるはずですが、ここではこの部分は大企業がすでに持っている資質であるとしておきます。(そうでなければオープンイノベーションイベントに参加しようとしないでしょう?)

だからまず、1%の部分、イノベーティブなアイデアについてまじめに考えてみます。僕自身は発明家を自称しているので、「発想法」について聞かれることもありますが、創造的なアイデアを生み出すことができるかどうかは、個人の資質に依存していて、学習によって習得できるのものではないと思っています。
大企業がコストをかけても育たないのなら、やはり個人で習得可能なものではないのでしょう。

それでも、頭の中で働くプロセスを組織が模倣することもできなくはないような気もしています。創造的ではない個人には無理でも創造的ではない個人の集団には可能かもしれない。

創造的結晶化のプロセス

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)に使えそうなモデルがありました。
一万個のボタンとたくさんの糸を用意します。ボタンを二つランダムに選んで、糸で結ぶことを繰り返します。はじめは独立する二つのボタンと糸のクラスターが増えていくだけですが、やがて三つ四つのボタンが結びつけられるようになります。
ボタンと糸の比率を調節していくと、ボタン2個に対して糸1本の比率を超えたとたんに、クラスターの大きさが急激に大きくなります。たくさんのボタンがつながったものが突然たくさん形成されるようになるのです。化学反応の系において、充分多くの反応が触媒作用を受けると、突然系が「結晶化」するのです。こうして生まれた「結晶」は多くが自己触媒システムであり自己維持的であり、生命の起源において、こうしたモデルを採用できるとしています。これが実際の化学的システムの中でうまくいくためには分子の多様性が重要なファクターであるというのもポイントです。

このモデルは、本の中でアイデアの創出について触れられた部分ではありませんが、アイデアが突然生まれる仕組みのアナロジーとして妥当に感じられます。(アタマの中で起こるこれを「創造的結晶化」と呼んでおきます)もしこのようなプロセスを個人の外部で起こすことが出来ればイノベーションのプロセスを組織で模倣できるのかもしれません。
(ニューロンとシナプスがボタンと知識に対応するのか、それとももっと抽象的なレベルのものなのか、また本当にひらめきとともに、これに似た現象が起きたとして、どう意識にすくい上げられ、言葉になるのかなど、曖昧な部分はたくさんあります)

個人ではなく、組織で「創造的結晶化」は起こせるのか

では、個人の脳内で起こる「創造的結晶化」のモデル(が正しいとして)を、オープンイノベーションのために集められた個人の集団で起こすことが出来るでしょうか?
さっきの相転移のモデルを集団に移し替えると、ボタンは個人、糸は意思伝達ということになります。ということは、(アイデアを持った個人・法人と大企業の組み合わせは自明だから除いておいて)

1)多数の個人
2)頻繁で密なコミュニケーション
3)多様性

があれば、イノベーティブなアイデアは生まれるのかもしれません。
このシステムで創造的結晶化を起こすためには、よく知らない同士がコミュニケーションを密にとる仕組みを作り上げる必要があります。単体の分子が大きければ大きいほど反応の頻度が大きくなるはずですが、これは個人のコミュニケーション能力()と3)多様性に対応するでしょう。(本には脱水や異端分子の挙動などこちらも知的創造のプロセスのアナロジーとして面白い話があるのですが、長くなるので省きます)
イベントを企画するでけではなく、参加者がどれだけ密接なコミュニケーションを行えるかが課題です。ファシリテーターが熱心であれば反応速度を上げられるような気がしますが、どっちにしても創造的結晶化のためのコミュニケーションの構築は一日や二日で実現できるものではなさそうです。
せっかくここまで書いてきましたが、これらのことはSNSのデザインを行う際に考え尽くされたことだろうと気づきました。現在のSNSや社内SNSがオープンイノベーションの場として機能していないなら、もっと違ったものが要請されているのでしょう。
もしかしたらそのための特別なコミュニケーションツールとシステムをデザインすることができるのかもしれません。(TODO)

もうひとつ、創造的で内向的な人はそもそもこういったイベントに参加しない傾向にありますが、もし参加しても外交的な人向けのアイスブレイキングを通過できない可能性もあります。
(僕は飲み会は好きですが、アイスブレイキングからは何度も逃亡しました)内向的な人向けのコミュニケーションデザインには消極性デザイン宣言-消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。が参考になります。

受け手にも準備が必要

 

”問題とを考察するとは、隠れた何かを考察することだからだ。それはまだ包括されていない個々の要素に一貫性が存在することを、暗に認識することなのだ。
そして私たちが期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないとき、それは独創的なものになる。偉大な発見に導く問題を考察するとは、隠れている何かを考察することだけでなく、ほかの人間がみじんも考えつかない何かを考察することなのだ。
暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫) 次の引用文も同じ

気を取り直して、個人法人+大企業のシステムとしてのオープンイノベーションの話に戻ります。
イノベーティブなアイデアを持った個人やベンチャーがあり、アイデアを求めている大企業がいたとしてそこでマッチングはうまく成立するでしょうか?
ここにもジレンマがあります。本当に新しいものは準備ができている人にしか理解でないのです。
革新的なアイデアは、その大企業や、他の誰かが見いだせなかったアイデアであるが故に革新的なのですが、だからこそ、共通の文脈を持たない受け手には理解できない場合が多いのです。
さらに、これを募集企業の側に理解しやすく、大量の応募を効率よく処理しようとすると、

内容を台無しにするたぐいの「明示性」を持ち込むことに

なります。

オープンイノベーションの現場でよく見られるフォームは次のようなものです。

【FAQ1】 どのような問題や課題を解決するサービスでしょうか?
【FAQ2】 誰のためのものですか?
【FAQ3】 サービスの競合はいますか?また競合に対する優位性について。

「イノベーション」の文脈でこれらを問うのはとても皮肉なことです。
なぜなら、これらに詳細に答えらればられるほど、イノベーティブなものではない、ということになるからです。
FAQ1
(中にはそういうものもあるので、まだましではあります)
電話や自動車や飛行機が発明されたときに、この問いに答えられたでしょうか?WindowsもMacもドローンもYoutubeも、ブログもSNSもtwitterもSnapChatも、そしてネットスケープさえ、このような問いに答えられなかったでしょう。

FAQ2
わざわざ問われたのですから、「みんなのものです」と答えてやる気がないと思われるよりは「私立中学の受験を控えつつ、恋愛にも興味を持つ12歳の男の子のためのものです」と答えた方が、問いに対する答えとしてはましに思えてしまいます。

FAQ3
いま競合がいるようなアイデアなら、イノベーティブじゃないんじゃないでしょうか。

このテンプレはあらゆるところで見かけます。確かではありませんが、出所はYCombinaterじゃないかと思うんですが。違いました。リーンスタートアップですね。問題はこんなテンプレを利用するような側に新しいことを受け入れる準備ができているのか、ということです。
上にも書いたように、革新的であればあるほど、問いに対して曖昧な回答しかできなくなるからです。
添削してみましょう。

FAQ1 どんなサービスまたはプロダクトですか? それについてのあなたの仮説を聞かせてください。
FAQ2 市場規模は大きいんですよね?
FAQ3 弊社の既存のリソースで市場を確保できますか?特許は出願していますか?

 

知財の権利が守られないかも

応募する個人やスタートアップは何を期待しているのでしょう。おそらくビジネスを度外視した応募は少ないはずです。だからよく見かける次のような契約は致命的です。



この段階でスタートアップは参加をあきらめるべきです。
アイデアをもったイノベーターにとってはアイデアは商品であり、大手がノウハウを握ってリソースで勝負をかけてきたらその時点で終わりなのですから。

好意的に見るなら余計な手間を省くためのもので、アイデアや著作物について適用するつもりはない、ということになるのでしょう。それでもあまりに応募者への配慮を欠いているように見えます。佐野氏の事件もDeNAの事件も、オリジナリティや個人の知的生産活動の価値を不当に安く見積もったことから起きているのです。

また、実際に協業が決まった場合にどのような報酬や出資が得られるのかについても明確で無いことが多いようです。

それに比べるとリクルートのSPAACは、スタートアップ側の権利が守られている点、資金提供や出資が明示されている点はとてもフェアであるように思います。また、継続的にスタートアップと企業側をフォロー、ファシリテートしコミュニケーションさせられる場(PAAK)を持っている点でも有利です。(実際PAAKはそんな感じの場になりつつある気もしています)
(Spaacはまだ途中なのと、僕はPAAKの会員で客観的でないかもしれませんが)

またこれも実際の現場の話なんでつまらないことなんですが、イベントによっては、物見遊山の社員とか、外注先探してるだけの人がいたりして、ミスマッチも多くあります。

結論

ちょっとイベントやったくらいではイノベーションはおきない。
特に創造的でない人々の寄せ集めでも、社内だけでやるよりは多様性があるので、コミュニケーションの設計によってはイノベーションがおきるかもしれない。でもそれは長時間かけて継続的にファシリテートしないと難しい。
スタートアップや個人のアイデアを期待するなら、権利と報酬を明確にした上で、代行会社任せにせず、社内でイノベーティブなアイデアを取捨選択できる素養のある、真剣な人間を用意する。求めているものが何か明確でないのなら、応募フォームはフレキシブルなものにすべき。

PS
ほぼ書き終わってから見つけた「オープンイノベーション白書」は良かったです。最初の図面はこちらから転載してます。