ポケモンGOは空間を民主化するかもしれない

ポケモンGOは空間を民主化するかもしれない

Ingressでスポット(ポータル)が史跡や公共施設を中心に割り当てられていたのとは違って、ポケモンの出現場所は、今のところランダムに割り当てられているらしい。それでポケモンを追って治安の悪い地域や原発の敷地に入り込んだりしてしまうことがニュースになってもいる。だが、ここに見られるポケモンGOの可能性はめざましいものがある。このままのブームが続くのであれば、人の流れと行動を、現実空間に重畳表示される無形の構築物でリアルタイムに変えてしまえることを意味するからだ。
空間の価値は、その場所に現実に存在する建築物や自然の風景、店舗や駅、仕事場や居住場所といった多くの変数によって決められてきたものであり、これらは容易には変えられないものだった。ところが、ポケモンやポケストップ、ジムなどを配置すれば、裏道を人気の通りにすることができるし、治安の悪い地域に継続的な人の流れをつくりだすことができれば、治安を改善することもできるようになる。サーバーに存在するパラメーターの操作で、これまで何百億円もかけて実現してきたような成果を得られるのだ。そして、それはポケモンGOが世界中の空間を民主化(または再領土化)できるということでもある。

ポケモンGO起動時のスプラッシュ

起動時のスプラッシュは任天堂でなくNiantic

場所の場所性とポケモンGO

だが、ポケモンGOの現在のブームは長く続かないだろう、と僕は思っている。ポケモンGOはその空間の特別な経験を上書きしてしまうからだ。世界中でポケモンGOが始まり、皆が熱中するならば、世界中はフラットになり(*)あらゆる場所がその場所性を失ってしまう。(それこそが民主化だ)プレーヤーはNianticによってあらかじめデザインされた等質な経験をすることになる。だが、現在のポケモンGOのデザインは、人間と空間の関係をあまりに軽視しているし、それにしては規模が大きすぎるのだ。

どっかの自転車置き場。

どっかの自転車置き場の

ある空間の経験は軽視されていいものではない。先祖の記憶と、特定の場所やものが結びついてアイデンティティを形成している集団も未だに世界のあらゆる場所で見られるし、(だから例えばダムができて移住することは時として個人の死以上のものを意味する)それほどでなくても、多くの人が特別な場所を持っている。日本ではそれが意識に上ることは少なくなってしまっているかもしれないけれど、特別な空間と結びついた記憶が200キロに一匹しかいないレアキャラのゲット経験で上書きされたり(200キロ離れた場所と空間の経験において等価になることを意味する)ましてジムやポケスポットとして人々が集まる場所になってしまうことへの抵抗が、それとして意識されるようになるのは時間の問題だろう。(そしてもちろん多様性のない経験はそもそも退屈だ)

ポケモンGO後とAR
問題はこの後だ。セカイカメラがARの未来を見せるようでありながら、いったんつぶしてしまったように、ポケモンGOに同じことをされるのはもったいない。現実の空間を物理的に操作することによってではなく、重畳する仮想空間によって人を動かす、というのはARの理想の一つであり(僕もYesterscapeでそれをめざしてきたけど)実際に大規模にやって見せたポケモンGOの功績は非常に大きい。だが、ポケモンGOを急成長させたのと同じ理由がポケモンを衰退させるだろう。ポケモンGOが退場した後(ポケモンのAR化については別の形があり得る)、ARの人間の人間的な部分と場所の関係を少しゆっくり追求すべきなのだと思う。
(このあたりの話は以前書いた。「AR、ingress,グーグルグラスとYesterscape」)

(*)「「偽物性は特に当局(ダスマン)の絶対的権力を通して表現される。「我々はダスマンが楽しむように自らも楽しむ、我々は文学や美術作品をダスマンがするとおりに鑑賞する」、偽物性はほとんど無意識的で主観的な形式であり深く考えたり関心を払ったりしない匿名の誰かによって、個人が知らず知らずのうちに支配されているような形式である。」(場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)引用部分はハイデッガー))