広告の未来

広告の未来

レイモンド・カーヴァーの描くアメリカの家庭では常にテレビがついている。つきっぱなしのテレビを、あるいは窓から聞こえてくるテレビの音声を背景に、登場人物はテレビとは無関係な物語を演じる。(0)どちらかといえば退廃と諦観の演出として否定的に描かれているこのような情景は、しかし広告業界にとっては理想的なものであり、日本でも数十年に渡って似たような状況が続いてきた。広告は厳密な意味で時間を共有している視聴者に対し、何度も、そして、じっくりとイメージと物語を語りかけることが出来たのだ。しかし、今やこのような楽園的状況は、あらたなテクノロジーによって葬り去られようとしている。

我々は進歩によって何かを得、何かを失う。グーテンベルグの活版印刷によって、我々は美しい写本を失い、内燃機関は旅情を駆逐した。資本主義とマス・メディアは村落共同体を消し去った。コンピューターとインターネットを代表とする情報技術の進歩が我々から奪いつつあるものは、これほどわかりやすいものではない。どちらも、あらゆるものの代替物として機能するとともに、あらゆるものの構造を変えてしまう潜在力を備えているからである。まずは情報技術の進歩が、特にテレビという特権的な広告媒体に及ぼす影響を考えて見ることからはじめたい。

テレビの意味

視聴者のライフスタイルは既に変化しはじめている。テレビの視聴時間は減り始め、代わってインターネットに費やされる時間が増える傾向を見せ始めている。

少し読みにくいが大澤真幸の言葉を引用しよう。(引用内の括弧は原文のママ)「電子(電気)メディアに先立つ段階においてはコミュニケーションの伝達時間は、コミュニケーションの相手(他者)の現前/非現前(不在)の区別-要するに相手との距離-と、対応していた。伝達時間がゼロである(ゼロにきわめて近い)ということは、他者が自己に対して直接に現前しており、ごく親密な領域(身近)の内部にいるということを表示していた」(2)大澤はまた、テレビにおける同時性を強調する。テレビは、「受け手達同士が、互いに知ることなしに密かな連帯感によって結びついて」いることを感じさせるのだと指摘し、一方通行のコミュニケーションであることの問題は「自分が孤立しているわけではなく、同じようにこの情報を受け取っている無数の仲間があることについての確信によって埋め合わせられている」(2)のだとする。また、マーク・ポスターは、テレビ(CM)は「比同時的な対話の文脈をもった、モノローグ的で自己指示的なコミュニケーション」(3)であると言う。

たった一人でそれが行われていたとしても、テレビの視聴は、コミュニケーションであり、対話なのだ。他者が現存し、(かのように感じられ)、視聴者に直接語りかけてくる(かのように見える)ことが重要であったのである。このことは、良く口にされる、「テレビがついていないと寂しい」という言葉にも暗示されている。人間関係について用いられる「寂しい」が援用されるのは偶然ではない。それは、無意識的にはテレビが、まさにコミュニケーションとして認知されており、対人的コミュニケーションの代替物として機能していることを示しているのである。

以上のことを考えるならば、先の統計に現れたテレビ視聴時間の減少の危険な意味について気づかずにはおれない。テレビがコミュニケーションの代替物であるのならば、コミュニケーションがより理想的な形で現れるとき、テレビというメディアの(少なくとも)コミュニケーション機能は、より適切なメディアによって取って代わられるのは必然でだからだ。更に、次の段で詳しく述べるが、大澤が指摘するコミュニケーションの代替物としてのもう一つの要件、同時性さえもが失われようとしている。そして、インターネットとコンピューター、そして今後生まれるであろうサイバースペースは、更にリアルな即時性と、他者の文字通りの現前を可能にするのである。

同時性の消失・断片化・CMスキップ

アメリカではTivo社、Sonic Blue社等によって既に発売され、日本ではそれぞれのライセンスを受けソニー、松下が発売しようとしているPVRがある。後者はCMカット機能を謳っており、前者にはCMを手動でスキップするためのボタンが用意されている。それぞれの装置の機能は少しずつ異なるが、どちらも大容量のハードディスクを内蔵しており、現在でも100時間以上の映像を録画しておくことが出来る。これらの装置は、単純にビデオテープをハードディスクに置き換えたものと考えるべきではないし、日本で発売されたepとも根本的に異なる。Tivo社のものは視聴者の好みを学習し、視聴者が見たい(と装置が考えた)番組を自動的に蓄積することができる。視聴者は何かを見たいと思ったときには、PVRに蓄積されている番組の中から好きなものを選択して視聴することが出来る。Sonic Blue社のものは既に放送が終わってしまった番組でも、ネットワークを通じて録画した人から、(CM削除済みのものを)受け取ることが出来る。(*)

これらの装置が本格的な普及に至るクリティカルポイントに達し、我々が変化を明確に意識できるようになるまでには、後数年から十年はかかるだろう。しかし、ランダムアクセス可能な大容量の記憶装置を備えたこのような装置は、新規なビジネスモデルのためにひねり出されたものではなく、ビデオとテレビの正統的な進化のベクトル上にある。これらは、リモコンの登場が広告やテレビの番組編成を変えたように、未来の視聴スタイルを変えるだろう。これらのセットボックスの普及について、「出荷後の使用調査によれば、ユーザーの88%が、CMをスキップして、番組を見ている。」「複数の調査機関の予想を総合すると、2002年末までに約9000万世帯にDVRが入るという。米国の全世帯数が1億200万だから、全体の90%に達する。」(7)(**)という予想がなされている。ここで、ハードの進歩についての妥当な予測を加えながら、少し具体的に影響を考えてみたい。

後数年の間に、PVRの備えるハードディスクの容量は現在の10倍に達するだろう。(9)ハードディスク容量が十分なものになったとき、視聴者はいつでも過去数日分の番組から好きなものを選択し、視聴することが出来るようになっている。視聴者はもはや番組を見るために早めに帰宅する必要はないし、数日の旅行ならば敢えて録画予約をする必要もなくなる。視聴者がこのような装置を手にするようになったとき、テレビの視聴スタイル、CMの露出時間、番組編成などに大きな変化が生じるのは間違いない。後述するSonic Blue社の広告戦略とともに、これは広告業界にとっては大きな脅威となる。

しかし、PVRが招く本当にユニークな問題は、録画可能な全ての時間、全てのチャンネルの番組が、(同一局同士の番組も)限りある視聴者の時間を争うようになると言うことである。現在は、例えば視聴者がいまここで持て余している時間を番組の視聴によって消化したいと考えたとき、選択肢は放送局の数しかなく、競争率はせいぜい数倍である。しかし、今後は例えば視聴者の持て余している視聴枠を埋める選択肢は数百から数千にもなる。そして、番組はテープの入れ替えや頭出しなどを必要とせずに、過去の番組表をブラウジングしながら簡単に、そして一瞬で取り出すことができるようになるのである。このような環境が与えられたとき、視聴者は自分の趣味に合わないものを見ることは少なくなるだろう。たとえ深夜、早朝の暇つぶしのためであっても、ただテレビをつけるというその目的のためだけに質の低い番組を視聴する必要はなくなるだろう。このようなタイムシフトが行われたとき、テレビがコミュニケーションメディアとして現れるための要件の一つである同時性はもはや不完全なものになってしまっている。テレビの時間軸は限られた同時中継のニュース番組や視聴者参加型の番組を除き、線形性を失い、切り刻まれて断片化したものになるだろう。

これは正のフィードバックを生む。つまり、10年後の視聴者はテレビの同時性に依存したコミュニケーション機能に無意識であるが故に便利なPVRを利用するようになるが、そこで視聴される録画された番組は、コミュニケーションの神秘作用が減じたものになる。(寂しさを感じる)(***)そして、視聴者がコミュニケーションの必要を感じ始めるとき、すぐ手の届く周囲には、ごく最近誕生した魅力的な多数のコミュニケーション媒体が、より理想的な形で存在しているのだ。

つまり広告業界はPVRによって、CMの生息する時間と、コミュニケーションの機能という、テレビの二つの特権的な特徴を失うことになるのだ。

多様化

そして情報技術は、マーケティングレベルでの多様化をさらに押し進めることになる。テレビの時間軸は、PVRによって切り刻まれ、数百・数千の選択肢に断片化された上で、視聴者の気の向くままに再配置される。

インターネットにおいては、限りなく安価な、そして限りなく細分化した価値に適切に対応できるメディアが生まれつつある。これまでは個人レベルで認識され、あるいは認識されずに終わっていた、嗜好や趣味における小さな差異は同好の士を簡単に見つけることの出来る環境の中で認められ、強化され、拡大され、そして一定の評価を得て伝えられていくだろう。

情報技術は、既に始まっている細分化を加速し、未だ始まらない細分化をも始めるのである。(****)

問題のまとめと未来の広告の形態

未来の広告がどのようなものであるかについて考える前に、まず情報技術の進歩がもたらすものを整理しておこう。

  1. テレビの持つ線形的時間の無効化・断片化
  2. テレビの持つコミュニケーション作用の希薄化
  3. 価値と嗜好の多様化と情報チャンネルの増加

従って、

  1. 自由時間のうちテレビ視聴時間は減少に向かい、代わりにインターネットやサイバースペース、オンラインゲーム、等へ使われるようになる
  2. 露出時間は短くなり、・文脈を伝える時間は少なくなる

ということが、まず言えるだろう。

また、SonicBlue、Tivo社は、番組選択画面などで、独自にCMを流すことも検討している。このときのCM枠は放送局ではなく、日本では松下やソニーといったPVRメーカーが操作できるようになるだろう。この部分でも広告業界の大きな再編が起こるのは間違いがないが、彼らがどのようにCMを流すかについての詳細は明らかではないし、アメリカの三大ネットワークが起こした番組交換についての訴訟(これについては既にSonic Blue社に有利な結果が出ている)や、これから起こるであろう訴訟の行方も含め未だ不透明な部分も多い。しかし、これらのPVRの及ぼす影響を、広告業界は過小評価してはならないだろう。

では、未来の広告はどのようなものであり、広告業界はどのようなことを考えて広告制作を行っていくべきなのだろうか。三つのキーワードを提示しておきたい。

  1. 速度
  2. ニッチ・ターゲット指向
  3. 散種

ブロードバンドの普及と、コンピューターの処理速度の絶えざる進歩は速度へのあこがれの強さを示している。視聴者は既にランダムアクセスの利便を知ってしまった。PVRにCMが挿入されることになるにせよ、しないにせよ、テレビCMにおいて15秒や30秒といった時間待たされることに視聴者は我慢できなくなるだろう。敢えて広告スキップを行わない程度の数秒がテレビCMの基本的単位になっていくことが予想される。速度はラジオや新聞、雑誌以外のメディアの基本要件になっていくだろう。

PVRに限らず、情報技術は個人の詳細なデータを収集、結合することを可能にする。9時のニュースの具体的視聴者像を想定することは難しいが、視聴率0.01パーセントのコンテンツではより容易である。一億人に向けるCMよりも10万人に向けたターゲットを絞ったCMである方が、広告対費用が優れている、ということが十分にあり得る時代になりつつある。(インターネット・バナー広告のクリック率は、広告とコンテンツとのシンクロ度合いによって0.001%から数10%まで変化する)CMは平均人に向けたものではなく、よりニッチなターゲットを指向すべきものになるだろう。

先にも述べたようにテレビのコミュニケーション機能の一部は他のメディアによって代替されてしまい、CM単体で視聴者と広告業界が望むようなコミュニケーションを成立させるのは難しくなる。視聴者の接するメディアが多次元的になり、選択肢が多様になるにつれ、少数のメディアに絞った広告は、ある視聴者には全く届かない、ということが起こりうる。広告は様々なメディアに散種されなければならなくなるのだ。インターネット、三次元的インターフェイスを持つ、あるいは没入型のサイバースペース、新聞や雑誌、屋外広告、衛星放送、GPS地図、オンデマンド放送局、ラジオ、そしてもちろんテレビなどに。

広告の制作の未来

マーク・ポスターによれば、広告は、視聴者を「浮遊するシニフィアンをシニフィエである製品に結合することによってCMの意味を<創造する>(記号をつくる)」(3)ように促すのであるとされる。このことによって視聴者は自ら言葉やイメージによって与えられたシニフィアンを製品に結びつけ、広告の主張を受け入れることになるというのである。当然、シニフィアンをCMに与えるのは広告業界の役割である。視聴者にとって受け入れられ、明示的にではなく、一般的視聴者の心的作用によってシニフィアン(単語・文脈・イメージ)とシニフィエの結合が自然に行われるような広告が理想的なものである。このような広告におけるコミュニケーションが視聴者の心的レベルで行われることによって、現実的な効果(購買)を生み出すのである。広告業界はこれまで、基本的には単一のCMでそれを行っていた。ところが、上に見たように、広告業界が未来に確保できるのは断片化され、非線形化された時間とメディアであり、少ない視聴率である。広告業界はテレビにおいては制限されたコミュニケーションしか行えなくなるだろう。かつてのようにじっくりとイメージを伝えることは出来なくなるだろう。しかし、悲観すべきではない。広告とは、大澤が言うように、もともと制限されたものであり、それにも関わらず効果を持つものなのだ。

「彼らは、マス・コミュニケーションを通じて与えられた情報を懐疑しているし、ときにはそれが「嘘(不誠実)」だと信じさえしているのだ。しかし、それにも関わらず、受け手は、マス・コミュニケーションの影響から自由ではない。(中略)マス・コミュニケーションの影響は、既に選択されてしまっている(客観的にそうなってしまっている)がゆえに、選択や拒否の可能性がそもそもあり得ないと見なされているような領域で、生じてしまうのだ。」「情報の内容を懐疑し、それが誤謬である可能性に自覚的であったとしても、なお、影響の残滓があり得るのだ。その影響は(自覚的に)行為するときにはすでに終わってしまっている(かのように現象する)選択の水準で生じる。マス・コミュニケーションの影響力が発揮されるのは、この終わったものとして現れる選択(認知的・体験的領域)に対してなのである。」(2)

広告は楽園を追われつつあり、新しい生息空間に合わせてスタイルを変えなければならないだろう。しかし、適切な準備をする時間はある。それによって、広告業界は生き延びることが出来るどころか、より効果的に力を発揮することさえ出来るはずだ。「コミュニケーションが行われている現実の時空間の全てが広告の空間」(8)であるのだから。

(0)「What We Talk About When We Talk About Love」  Raymond Carver Vintagebooks

(1)電通総研レポート2001年度・2

情報化社会に生きる-ブロードバンド&ユビキタス社会の勘所-

(2)大澤真幸「電子メディア論」新曜社

(3)マーク・ポスター「情報様式論」岩波書店

(4)いとうせいこう「沈黙のためのメディア」Intercommunication 1993 winterNo.3 NTT出版

(5)アルビン・トフラー「パワー・シフト」中公文庫

(6)フリッパーズ・ギター(小沢健二・小山田圭吾)

(7)米国のテレビ局幹部が恐れる、DVRとは何か?Ebpass.com(現在はリンク切れ)

(8)ポール・ヴィリリオ「情報化爆弾」産業図書

(9)ハードディスクは前年の1.6倍から2倍の容量に進化している。

(*)番組を交換媒体とした新たなコミュニケーションを作り出すSonic Blue社のシステムがことさらCMの削除を強調しているのは皮肉でもある。

(**)番組もスタイルを変えざるを得なくなるだろう。例えば、ザッピングによってチャンネルが変えられてしまうのを防ぐために、番組制作者はいささか露骨な方法を取り入れるようになったが、(この後大変なことが!)(番組はまだまだ続きます)録画された、あるいは録画をしながら再生のできる視聴者にとって、これらの方法は逆の効果を生み出すことになる。(早く続きが見たい→CMスキップ)

(***)ep苦戦の原因の一つはこの部分にあるのかもしれない。(もちろんコンテンツとビジネスモデルの問題はあるが)

(****)最近になってロングテールという言葉が与えられた。